くすり富山の歴史

01
[1690年]
富山の売薬はなぜ有名に?
1690年に江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に富山藩2代藩主・前田正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復した、とされる「江戸城腹痛事件」がありました
このことに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になりました
一般社団法人 全国配置薬協会ホームページより引用
02
[他領商売勝手]
反魂丹商売人越中売薬
正甫は領地から出て全国どこでも商売ができる「他領商売勝手」を発布し、さらに富山城下の製薬店や薬種業者の自主的な商売を保護し、産業奨励の一環として売薬を奨励しました。このことが越中売薬発生の大きな契機となり、売薬は藩の一大事業になり、反魂丹商売人に対する各種の心得が示された。この商売道徳が現在まで富山売薬を発展させてきた一因であるとされる。藩の援助と取締りの下、越中売薬は商品種類を広げながら次第に販路を拡大していきました
03
[基本理念]
先用後利
先用後利とは「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬の基本理念で、創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれています。貨幣の蓄積が少ない庶民にとって医薬品は家庭に常備することはできず、病気のたびに商業人から買わざるを得なかった。こうした背景の中で医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらう先用後利のシステムは画期的で時代の要請にも合っていました。
04
[世界に誇る品質]
環境がつくる高品質な製品
世界に誇る立山連峰から湧き出た名水とキレイな空気の中で作られた高品質の製品です。

ページ上部へ戻る